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福岡高等裁判所 昭和50年(う)374号 判決 1976年4月14日

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一万五〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは金一〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審および当審における訴訟費用のうち原審証人緒方光男および同宮川徳章に支給した分の各二分の一ならびに同中村庄四郎に支給した分の全部を被告人の負担とする。

本件公訴事実中合図不履行の点については被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、検察官中野博士が差し出した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用し、これに対し次のとおり判断する。

本件控訴の趣意(量刑不当)に対する判断に先立ち、職権により、原判示第二の合図不履行の点について判断を加える。

記録によれば、原判決は、被告人は、昭和四九年一一月七日午后七時二〇分ころ、福岡県北九州市八幡西区山寺町熊西中学校付近道路上において、普通乗用自動車を運転左折するに際し、左折の合図を必要とする場所であることの確認を怠つた過失により、これに気付かず左折の合図をしなかつたものであり、これは、道交法五三条一項、一二〇条一項八号二項、同法施行令二一条に該るとの起訴に対し、被告人は、右同一日時ころ、同県同市同区熊西二丁目五―三〇付近道路において、普通貨物自動車を運転左折するに際し、法令の定める合図をしなかつたとの事実を認定し、この被告人の行為は、道交法五三条一項、一二〇条一項八号、同法施行令二一条に該る旨判示し、被告人に対し有罪の判決をなしたものであることが明らかである。

したがつて、原判決は、過失による左折合図不履行の訴因に対し、なんら訴因変更の手続を経ることなくして、故意による左折合図不履行の事実を認定して、被告人に対し有罪の判決をなしたものであつて、審判の請求を受けた事件について判決をせず、審判の請求を受けない事件について判決をした違法があることが明白であるものというべく、この点において破棄を免れ難い。

さらに、原判決の事実認定および法令の解釈適用について、検討を加える。

当裁判所の検証調書によれば、本件現場の道路の状況は、別紙図面記載のとおり、ほぼ北東に向う幅員約5.8メートルの道路(以下、乙路という)とほぼ南西に向う幅員約7.4メートルの道路(以下、荻原線という)とほぼ東に向う幅員約7.4メートルの道路(以下、山寺線という)とが交差する三叉路の交差点であつて、以上各道路とも歩車道の区別がないこと、本件交差点付近において、乙路と荻原線とは相互に直線状に連なり、一方、荻原線と山寺線とは約一三〇度の角度で交差しているが、交差点の南角が別紙図面記載のとおり緩かな彎曲線を画くように隅切りされ、荻原線と山寺線とを通じ本件交差点内を貫通して中央線が設置されていて、道路標示によつて、荻原線および山寺線(以下、この両道路を一体として甲路という)が優先道路に指定されていることが認められる。そして、原判決挙示の関係証拠によれば、被告人は、普通貨物自動車を運転して、山寺線から荻原線に向けて本件交差点内を通過するに際し左折の合図をしなかつたものであることが明らかである。

そこで、山寺線から荻原線に向けて本件交差点内を通過する自動車の運転者は、道交法五三条一項により左折の合図をなす義務を課せられるものであるか否かについて検討する。先ず、道交法にいわゆる「右折」「左折」の意義が問題になるのであるが、同法は「右折」「左折」の用語に関しこれを定義する規定を設けていない。同法三四条一項は、「車輛は、左折するときは、あらかじめその前からできる限り道路の左側端に寄り、かつ、できる限り道路の左側端に沿つて(道路標識等により通行すべき部分が指定されているときは、その指定された部分を通行して)徐行しなければならない。」同条二項は、「自動車、原動機付自転車又はトロリーバスは、右折するときは、あらかじめその前からできる限り道路の中央に寄り、かつ、交差点の中心の直近の内側(道路標識等により通行すべき部分が指定されているときは、その指定された部分)を徐行しなければならない。」さらに、同条三項は、軽車両の右折方法に関し、同条四項は、一方通行となつている道路における右折方法に関して、各規定している。)同法二五条一項は、「車両は、道路外に出るため左折するときは、あらかじめその前からできる限り道路の左側端に寄り、かつ、徐行しなければならない。」同条二項は、「車両……は、道路外に出るため右折するときは、あらかじめその前からできる限り道路の中央(当該道路が一方通行となつているときは、当該道路の右側端)に寄り、かつ、徐行しなければならない。」同法五三条一項は、「車両……の運転者は、左折し、右折し、転回し、徐行し、停止し、後退し、又は同一方向に進行しながら進路を変えるときは、手、方向指示器又は燈火により合図をし、かつ、これらの行為が終わるまで当該合図を継続しなければならない。」同条三項は、「車両の運転者は、第一項に規定する行為が終わつたときは、当該合図をやめなければならないものとし、また、同項に規定する合図に係る行為をしないのにかかわらず、当該合図をしてはならない。」とそれぞれ規定している。

以上各規定の趣旨を綜合して考えれば、「右折」ないし「左折」とは、車輛が、進行道路から外れて、他の交差道路又は右方ないし左方の道路外の場所へ進入することを指称するものであつて必ずしも、右方向ないし左方向に折れ曲つて進行する場合を指称するものではないものと解するのが相当である。また、道路が屈曲しているため右方ないし左方に折れ曲つて進行する場合であつても、進行道路から外れることなく進行するときは、「右折」ないし「左折」には該らないものと解するのが相当である。なんとなれば、車輛が、従前の進行道路から外れることなく進行する場合においては、たとえ道路が右方ないし左方に屈曲しているため右方ないし左方に折れ曲つて進行することとなるとしても、同法三四条に定める義務を課する必要性は全くないのであり、寧ろ、右の義務を課するときは却つて車輛の円滑な通行を阻害し危険を生ぜしめる虞れがあるからである。これに反し、たとえ、右ないし左に折れ曲ることなく、直線状に進行する場合であつても、従前の進行道路から外れて、他の交差道路ないし道路外の場所に進入するときには、他車の進路をさえぎつたり、あるいは後続車の運転者に対し進行を躊躇させる事態が生じるため、同法三四条ないし二五条に定める義務を課するのが相当であると考えられるのである。

これを本件についてみるに、山寺線および荻原線は、本件交差点内を貫通して中央線が設けられていて、この両線が一体の道路として、乙路に対し優先道路に指定されているのであるから、本件交差点は、山寺線および荻原線をもつて構成される甲路とこれの屈曲部に接続する乙路とが交差する交差点であると解するのが相当である。したがつて、甲路を進行する車輛は、荻原線から山寺線に向けて進行するときは右に折れ曲つて進行し、その逆の方向に進行するときは、左に折れ曲つて進行するのであるが、従前の進行道路すなわち甲路から外れて進行するものではないから、当該道路に設けられた車線に沿つて進行すれば足りるのであつて、道交法にいわゆる「右折」「左折」には該らないのである。これに反し、乙路から荻原線に向けて進行する場合は、なんら右に折れ曲る関係にないにも拘らず、「右折」に該り、一方、荻原線から乙路に向けて進行する場合は、同じく左に折れ曲る関係にないのであるが、「左折」に該ると解すべきである。本件交差点の如く、優先道路と他の道路とが交差して三叉路を形成しているときには、右のように解することによつて、はじめて、甲路と乙路との相互間における車輛の円滑な通行の目的が達せられるのであつて、単純に、交差する各道路相互間の交差角度の基準にして、「右折」「左折」の意義を定めることは、法の趣旨を没却するに等しいこととなるのである。

したがつて、自動車を運転し山寺線から荻原線に向けて本件交差点内を進行する行為は、道交法にいわゆる「左折」には該らないのであるから、被告人は、同法五三条一項に基き左折の合図をなす義務を負つていたものではなく、山寺線から荻原線に向けて本件現場を通行するに当り左折の合図をしなかつた不作為はなんら罪とならないものといわざるをえない。

以上のとおり、被告人が左折の合図をしなかつた行為がなんら罪とならないものであるのに、これを有罪と認定した原判決は、事実を誤認しないしは法令の解釈適用を誤つた違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。

よつて量刑不当の控訴趣意に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三七八条三号、三八〇条、三八二条により、原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書の規定にしたがい、さらに自ら次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

原判示第一の事実と同一であるから、これを引用する。

(証拠の標目)<略>

(法令の適用)

(別紙)

被告人の判示所為は、道交法六五条一項、一一九条七号の二、同法施行令四四条の三に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人を罰金一万五〇〇〇円に処し、刑法一八条に則り右罰金を完納することができないときは金一〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、刑訴法一八一条一項本文にしたがい原審および当審における訴訟費用のうち原審証人緒方光男および同宮川徳章に支給した分の各二分の一ならびに同中村庄四郎に支給した分の全部を被告人に負担させることとする。

(一部無罪の判断)

前判示のとおり、本件公訴事実中合図不履行の点は罪とならないことが明らかであるから、刑訴法三三六条により、被告人に対しこの点について無罪の言渡をする。

よつて、主文のとおり判決する。

(藤原高志 真庭春夫 金澤英一)

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